2008年03月18日

桜の思い出…

今日も散歩を楽しんできたのだがやはり厳冬期は確実に過ぎて春に向かい季節は動いている。そんな季節の移り変わりは実感として感じられるような今日の暖かさであった。正に冬来たりならば春遠からじ…である。特にこの季節の特徴の一つであると考えられるオボロな春の風景は日本情緒といって過言でないと思っているのだが、どことなくはねっかえりなく心にスンナリ入る風景を楽しみたいものだ。満開の桜の風景共に四角に仕切られた田んぼや畑の風景があり、菜の花、蓮華や水仙そして木蓮や撫子等の多くの花に彩られる華やかな季節である。こんなピースフルな生活がいつまでも続きますようにと祈るばかりである。当たり前が当たり前ではない私にとってのささやかな幸せであると思っている。

散歩した中でふと思い出したが以前にも何回かこの思い出す事があるのだが…。私は飯場暮らしが長く続いた浮草暮らしをしていた。住んでいる家は母親によって追い出せれて行き場のない私は飯場暮らしになるとも当然と言えば当然だがそんな暮らしも満更嫌いという事もなかった。飯場暮らしは一人一人が個体の集まりで集団という意識が薄くしっかりとした相手との距離があってお互いに不可侵というのが原則だ。それは言われぬ過去のある持主が多いということが最大の理由である。そんな中にあって飯場に入った頃の私は居心地の良さを感じていた。親の縛りを全く受けない暮らしは自由を感じていた。あの自由は今思っても何物にも変えがたい貴重な心の贅沢だっと思っている。あの解放感は私の中の奴隷解放でありこの世の幸福を独り占めしたようなご満悦な錯覚であった。

時は流れ快い錯覚もそう長くは続かなかった。舞い戻ってきた現実は次第に暗い翳を落として行く。飯場暮らしの自由さは自由しかない自由なので全てにおいて自己責任がついて回る。保険があるわけでもなければ、保証も勿論ない。人生設計をするにもその術もなく社会と隔絶した世界の中で生きる人種といってよいと私は思っている。現代において原始人の暮らしと殆ど変わらないといって良いくらいの生活の中で夢を持ちながら生きるというような事は出来ない。むしろ夢を描く事は飯場暮らしからの回避であり、自由の束縛でもあり、一度得た自由を放棄してまでも拘束のある夢を追い求める事は些かの抵抗があったと言わざるおえない。そんな悶々とした暮らしの中で次第に私は身を削り始めていた…。

若かった故に希望を持つ事も至極当然だった。しかし浮草暮らしをしている私に何が出来よう。少なくても社会と隔絶した浮草暮らしを止めて社会の中に入らなければ自分の夢を語る事も出来ないと気付き始めた。しかしアパートも借りる金もなければ、保証人もいる訳でもないからアパートも借りられないのが現状だった。1日働けばいくらかの賃金は貰えるものの飯場代や食事代でその殆どは費やされて極僅かな貯金分は趣味という名の散財に費やしていたのだから夢も語れないのは当たり前の事なのだが…。そんな飯場暮らしに疲れを感じてき始めた頃だが、働いている途中の一瞬の出来事だった。

桜が何本か横一列に立ち並ぶ土地で掘削工事をしていた私だったが、働いていてふと前を見た瞬間、もう既に他の桜の花は落ちてしまっていたが最後の1本の桜の木に残っていた花びら2.3枚が5.6メートル真横にひらひらと舞った。それも一瞬ではあったもののひらひらとゆっくり舞って、桜の花びらは静かに真下に落ちていった。桜の季節が終わった瞬間だった。浮草暮らしに慣れ親しんでしまった私には大いなる感動であった。荒れた暮らしは心までも荒んでいったがそんな気持ちを一掃させるような散り具合であったと今でもその時光景は忘れないで覚えている。そのご飯場暮らしからの脱却を試みるもののなかなか思うように行かず更なる悲劇が待っていたが何とか今の暮らしに辿り着いている。感謝以外にはないと思っている。

今では多少の拘束があるものの思いの通りに出来る人生が今訪れてこれから又新しい人生を歩もうとしている。自由過ぎて臆病だった昔もあれば、荒んだ暮らしの中の何もない自由も経験した。そこに取り巻く人間関係は一般常識とは掛け離れた世界かもしれないと思うこともしばしばある。一種異様な世界であったとその当時を振り返るがもう戻りたくはないと思っている。住む家がなかったことから始まった私の飯場暮らしだったがその経験を生かすのも私自身だと思っている。








Posted by ふじのおやまのヒデ at 09:34│Comments(6)
この記事へのコメント
ヒデさんの、体験というのは、なかなか普通の人が体験することの無い、経験ですね。
何度も言う様に、これは私個人的な感想ですが、本当に難しい
問題集を、与えられて、神様から自分の力で、工夫で そして何より知恵と、あらゆる隠れた能力を発揮して、幸せを創ってごらん・・・
といわれている気がします。

遣り甲斐がありますね。

もうすでに、その道を歩いているではありませんか。
Posted by 山の辺 at 2008年03月18日 15:10
女将さんへ

過去を否定しているわけでもなく、悲観的になっているのではないのですがそう思うんですよ。自分では自分の考えを止められない…という事はトラウマなのかもしれません。私には多くのトラウマがあると思われます。思わないようにしようと思っても自分をコントロールできないんだな~と思います。

今の最大の治療は吐き出すことなんです。吐き出して自分の中で整理をつける事が一番大事なことなんですね。受け止められない間はこの文章は繰り返されるでしょう。しかしこれでもだいぶ改善されたと思いますよ。もう少しの辛抱のように思います。

結婚をしたり、新規の仕事を手がけたり色々な事でトラウマが小さくなれば良いと思います。捲土重来の志を持ってもう前に進んでいるのだから過去を吹っ切れば良いと思うけどなかなかそうは行かない見たいです。必ず女将さんに笑顔の報告をしたいと思っています。「光ありて、光あるうちに光の道を歩む」私の好きな言葉通り前に進んでいきたいと思っています。でも頑張ります。(笑)
Posted by ふじのおやまのヒデふじのおやまのヒデ at 2008年03月18日 15:36
心のこもったコメントありがとうございます。
Posted by miho at 2008年03月19日 02:28
miho さんへ

こちらこそコメントを有難う…です。
これからもこのようなコメントはあると思います。
過去との決別をしないことには私の未来はないと
思います。その為のこのコメントです。

自分の過去を正直に吐き出す事や自分を正確に
捕らえる事は重要な事です。今の私は格好を気に
してはいられません。未来の為に何をしたいかを
考えたいと思います。
Posted by ふじのおやまのヒデ at 2008年03月19日 06:42
ヒデさんはいろんな人生経験をされてるんですね。
私も辛いと思うことはたくさんあるけど
我慢すれば乗り越えられること。
生活出来ないような苦しさは経験がないので
まだまだ甘い人間ですね。
Posted by 花子 at 2008年03月19日 10:08
花子さんへ

花子さんを考えた時、甘い等という人ではないです。(笑)
気持ちの優しい素晴らしい人だと私は思っていますよ。
まだこれくらいの事はまだ入口だと思います。言えない事は
まだ沢山ありますよ。でもそれはそのうちです。
花子さんとの出会いを大切にしながら生活したいものです。
Posted by ふじのおやまのヒデふじのおやまのヒデ at 2008年03月19日 12:39
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
桜の思い出…
    コメント(6)