2008年01月28日

変わって来たかな?

いつの間にか生活が変わり始めていると感じるこの頃です。もう先日、富士宮のアパートが完成して次の不動産賃貸に移行しようとしている。今度は沼津の話らしい。どの様な話を持って来てくれるのか楽しみでもあるのだが、苦しみの方が先かもしれない。一つ一つをこなしていく中で何とか物になったら良いかもしれない。この商売は当り外れがはっきり分かれるので勝組と負組みになってしまう傾向が強い。その一番の分かれ道は何といっても最初の目利きにかかっていると思う。

しかしこのような話が来るのは正に感謝以外にはないと思って良い。こんな私にそんな話が来るのだから…。この信用は絶対に落とせない。今度の失敗はもう取り返しの聞かない年齢になっている事を知るべきだと思っている。あたかも新しい人生と歌うなかれ!!それ程多くの人生が待っている訳ではないし、体力から言っても今が事業をやる最終的な年齢だと思っている。他にはもう何も残っていない。

これからの人生を構築する事は未来に対する構築で少なからず前向きだ。しかしマイナスが無い訳ではない。今よりもマイナスであればもうマトモな人生はないと私自身に断言できそうだ。そうならないように努力をしようと思って思っている。もう昔みたいな生活には戻りたくない。しかし未来が保証されているわけではない。昔みたいに努力したとしてもマイナスに向かって努力していたら一向に改善される事はない。その為の大きな指針は何といっても人の話を良く聞くことだ。それは言葉ではないと思う。
よく人の話を良く聞くというと黙ってしまう人がいるがそれは違うと思っている。聞いていると勘違いしているだけでそのような人は聞いているだけの人だと私は思っている。人の話を聞いてそのように実行できる事が大事な事であって言葉が優先して帳尻合わせをするような人は余り人の話を聞いているとは言えないと私は思っている。

でも少し違っているのは昔に戻っても私自体は生きていける。戻りたくなくても戻ってしまったらそれはそれで仕方がないと思ったりも出来るのだがここが一番に違っているところだろう。これから家族を作るのだからもう昔には戻れないと思う。我子に家の中から星を見渡せるような家に住まわせたくはない。ガス代が払えないから蒔きで風呂を焚く様な暮らしはもう望まない。冬の寒さにのかでバケツに手を突っ込んで掃除をした記憶は今も鮮明だ。手が冷たくて霜焼と皸が出来てしまって痛い、痒いの両方が一つの手にあると言った感じだった。

手肌の荒れくらいならまだ良いのではないか?と思うが心が荒むよりはまだ救いがあると思っている。誰にも相手にされないで喧嘩ばかりを繰り返していた昔を考えればもう帰りたくないのは当然だ。尖ってばかりで反省しないからいつも誰かと衝突する。衝突すれば必ず誰かを犠牲にしてまで自分を正当化しようとする。又その事に全くの疑問を持つ事も無かった自分が何とも情けなくなってしまうがそれが現実だ。攻撃的になるのは自分の意思を通そうと思うからこそであって事の真偽なんてどうでも良かった。今ではそう思う。又事の真偽というような難しい話をするほどの生活をしていたとはとても思わない。今日食う米もなく、風呂も沸かせないで真冬にタオルを固く絞って冷たいタオルで身体を拭いたこともあった。そんな暮らしの中で事の真偽は黙って働く以外になかったと思うのにそんな事も出来ずに申し訳ないと思っている。やれなかった、しなかったというのではなく出来るだけの能力がなかったといったほうが良いかもしれない。

自分を癒せない人は他人を癒す事が出来ない。自分を癒す為には先ず自分を認めないと自分を癒せない。本当の自分のやっている事や思っている事を受け入れられない人はいくら自分であっても癒す事は出来ず周りに迷惑をかける結果になってしまう。自分を認める…言葉にすると難しいと感じられるがそれ程難しい事でもなさそうだ。要は素直になるという事が出来るかどうかにかかっていると思って良い。自分の思った事を正直に言えるか?自分のやったことを素直に反省出来るかにかかっている。それは私自身が経験しているから良くわかるつもりでいる。考え方が独りよがりだったりするととても人の意見には耳を傾けようと思うような事はない。自分だけが正しいと思うので孤立してしまう。孤立するので余計考え方が歪になってしまう。その連鎖を止める方法はなかなか難しいと思う。止めれないからぶつかって、ぶつかってやっと反省するくらいしか方法がないといって良いのではないか?と思っている。本当の自分を知る事はそれ程までに難しいのであると思う。

これまでの人生も正にその通りの人生になってしまった。どうにもならなくて悔しい思いもしたけどやっとこの頃良い方向に向かおうとしている。誰ではない、先ず自分から自分を戒めて悔い改める事が重要だと強く思うこの頃です。当たり前の事が当たり前に出来る人ならそれはそれで良い。私は残念ながらそのタイプではない。当たり前の事が当たり前に出来ないどころか、当たり前のことが当たり前でない考えなのだから話にならない。反省を始めた今でさえ当たり前の考えを身に付けるのに時間を要しているという有様だ。やはり何度も繰り返しながら自分に言い聞かせるくらいの気持ちが必要なのだと思う。当たり前の事が出来もしない人間なのだから人に何を言われてもそれ程怒れなくなった。それは段々に自分を知ってきたからに他ならない。

しかし反対の事も言えるかもしれない。この続きは明日にしよう!



Posted by ふじのおやまのヒデ at 17:11│Comments(4)
この記事へのコメント
読ませていただいて、共感させていただくことが、多いです。
私は、文章を書くのが苦手な方なので、ヒデさんのように思っていることを
言葉にすることがなかなか上手にできないのですが、周りに対する感謝の気持ちや、
自分を認める、素直になることの大切さなど、私も同様に感じています。
またまた共通点を発見ですね!! (*^_^*)
Posted by kirarakirara at 2008年01月28日 23:56
ろくでもなかった昔の私に戻りたくはない。本当の自分がいかに実力のない人間かを知らなければならないと思うこの頃です。
Posted by ふじのおやまのヒデ at 2008年01月29日 04:39
誰も守ってくれるひとがいなければ
自分自身を守ろうと、攻撃的になる…
攻撃は最大の防御だから。
そんな時代もありましたよ。
ヒデさんの意見には、共感することが多いです。
自分の見方がかわると、
回りが変わって来ると私も思います。
何ほどの人間ではないのだから、
お互い共感しあって前向きに生きていく方が
ずっと楽しいと思います。
Posted by たまかずらたまかずら at 2008年01月29日 07:34
貴方の攻撃的な姿は見たくない。

でも本当の癒しを知らないと本当の自分も分らないし、
人に対して優しくする事もできない。
お互いを癒せる関係になりたいですね。
優しさに包まれた貴方の魅力は私の想像を遥かに
越えてしまうかもしれない程凄いと思いますよ。
…多分ね!?
Posted by ふじのおやまのヒデふじのおやまのヒデ at 2008年01月29日 08:14
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