2009年07月02日

古い写真です ②

古い写真です ②




古い写真です ②


もう2枚古い写真をアップします。多分昭和初期の写真だと思います。かなりクラッシックと呼べるような、懐かしいと思われる諸氏も多いのではないかな~!?と思ったりもしています。まだ道路も舗装がなされていない時代でした。戦後の復興の象徴はもしかすると行き渡ったアスファルトかもしれませんね。今は当たり前に思っていますが、当たり前は当たり前ではないのですから…!?ヤクルトのトラックも良く見ると三輪トラックではないので、その意味ではその当時としては近代的なトラックと言えるかもしれません。正に昭和元禄の雰囲気が漂っています。


もうサイモンとガーファンクルを知っている世代も少なくなっていると思います。「明日に架ける橋」「コンドルが飛んでいく」等のヒット曲は全世界に発信したといっても過言でない程の有名な曲になっていたと思います。古きを訪ねて新しきを知る方向の中で創造と破壊を繰り返すところに人間の尊厳があるのかもしれません。その尊厳の源はもしかするとこの曲のタイトルの通り「サウンドオブサイレント」なのかもしれません。





Posted by ふじのおやまのヒデ at 09:17│Comments(10)
この記事へのコメント
ふじのおやまのヒデさん こんにちは~

古い写真がお宅には沢山有るのですね!!
ヤクルトと名前が入ったトラックは私はこれまで
地方都市に住んでいるため
戦中も、戦後も見た事がありません。

製品の創業が昭和10年。
これがどれ位の速さで普及して行ったのか全く
知りません。
写真下のトラックの文字がカタカナで「右」から
書いてあり、多分これは戦前の物かな?と
思いますが・・・。このトラック若しかして?
木炭を炊いて走っていた時代?かも知れないですよ。

二枚の古い写真を通して見えてくるのは
豊かな日本とはかけ離れた雰囲気ですね・・・。(^^♪
Posted by sumiko at 2009年07月02日 11:58
このころの車のデザイン、かっこいいですね
ちょっとユーモラスなところが、いい感じです

うちの方には「戦車道路」って呼ばれてる道がありますよ
その名のとおり、戦車が通るために作られた道だったそうです
祖父母や母の世代は未だにこの名で呼んでます
私たちは「県道〇号」って言うほうが多いかなぁ
地元に長く住んでる人にしか通じない名称になってきています
時代とともにこの名前も消えちゃうんでしょうね
Posted by at 2009年07月02日 14:45
こんにちは☆
戦車のお写真、教科書で見たような迫力ですね。
私は、子供のころに、父親と自衛隊のジープのような
車に乗っていた記憶があり、子供のころ家にはジープがあったと
思っていたのですが、家族には、夢じゃないの??と言われて
悔しかった思い出が。。。

このヤクルトの車は、映画の「3丁目の夕日」の頃ですが?
あの映画、とっても風情があって、良い時代だったのだな~
と思ったのですが。。。昭和を生きた父は
「本当はあんなんじゃない!」と言ってました(^^ゞ
でも私には、ものすごい活気がある良い時代だったように
見えます☆
Posted by まっち at 2009年07月02日 15:52
こんばんは♪
やっと、終わりましたよ。やれやれです。
今夜は、静かな我が家です。
ヒデさんのブログがたくさん進んでました。。。。
さすが、ですね、たんたんと書いてますね。
忙しくて、訪問もコメもできないのに、温かいコメをありがとうございました♪
Posted by ほのぼの at 2009年07月02日 21:17
sumikoさんへ

本当に昭和元禄という感じがすると思います。私もこの時代は知りません。
ヤクルトの車も私の見かける頃にはかなり近代的な乗り物に様変わりをして
いました。

私の家にはまだまだ沢山の古い写真はあります。かなり捨てて整理したらしい
のだが、とても処理出来る量ではないと思います。今はとりあえず一纏めにして
これから整理したいと思っています。
Posted by ふじのおやまのヒデ at 2009年07月02日 22:18
梅さんへ

私の感覚では以前、道路を戦車が通るという事も頻繁ではないものの
昔はあったと記憶していますが間違いだったかな~!?と思う時があり
ます。定かではないので言いませんが、そのような事もあったように思う
のですがどうでしょうか…!?

このような家庭の写真を通じて戦争を身近な問題として捉える事も大事
ではないのか?と思っています。教科書だけの問題意識ではなく、問題
そのものが極、身近なお祖父さんや曾お祖父さんという事も忘れては
いけない問題なのだと思います。
Posted by ふじのおやまのヒデ at 2009年07月02日 22:26
まっちさんへ

確かにストーリーとしては「三丁目の夕陽」という感じであると思います。
しかし映画はやはりデコレーションしているので、思う程美談という事も
なく普段の生活はもっと別なところにあったのかもしれません。

私の育った70年代は、今考えれば何でもありの時代だったと思います。
良い話も悪い話も色々あります。人間関係も今みたいなサラッとしたもの
ではなく、ドロドロとしてとても人間関係が近しい関係でした。向う三軒両隣
の名前を知らないなんてとても考えられない時代でした。しかしそれだけに
協力したり、相手を思いやる気持ちは今より遥かに旺盛だったと思います。
Posted by ふじのおやまのヒデ at 2009年07月02日 22:32
ほのぼのさんへ

大変でしたね。お疲れ様でした。
ほのぼのさんだから大丈夫!と思いながらも
もしかしたら…と思ってみたり、否!そんな事を
思うのもいけないと思ってみたりしましたが無事
仕事を終えられて良かったと思います。

困っている時、忙しい時に私なりのメッセージを
投げれなければお友達は止めますよ。そんな時
だからこそ伝えるメッセージがあるのだと思います。
だからお気に入りとか読者とかそんな括りを設ける
のは抵抗があるんです。申請してお友達になるもの
ではないと今でもそう思っています。
Posted by ふじのおやまのヒデ at 2009年07月02日 22:38
こんばんは

流石にこの車は知りません。。。
そうですね、道は舗装されてなかったんですね。
父がよく言ってました。
Posted by きっちゃん at 2009年07月03日 23:34
きっちゃん へ

でも三輪車ではないからこのトラックは結構新しい部類のクラッシックカー
という事になると思います。都会でも道路の舗装はされていない場所も
多かったと思いますが道路の問題が本格的に話されるようになったのは
つい最近だと思います。
Posted by ふじのおやまのヒデ at 2009年07月03日 23:39
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